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Day_8_1 Another Day

「今だ!」


 市役所のロビーに飛び込んできた赤井に、俺たちは挟み撃ちの形で飛び掛かった。
 協力者……肉屋の女子が巨大な肉切り包丁を振りかざす。
 それを躱してバランスを崩した赤井に体当たりをし、そのまま押し倒した。


「このっ……水晶を渡せっ!!」
「いや、離してッ!」


 取っ組み合いをしていると、ポケットから桃色の水晶がコロリと転げ落ちる。それをあのスーツの男が拾い上げた。


「よし、それだっ! それを叩き割るんだ!」


 男がうなずき、コンクリートの壁に石を叩きつけようと振りかぶって──


 その掲げた腕は、そのまま床に堕ちた。 


 男の腕を切り落としたワイヤーが、血を振り払いながら音を立てる。
 クソッ、赤井の味方が来やがったのか!
 
 ワイヤーはそのまま、のたうって肉屋の女子へと飛んでいく。
 彼女は肉切り包丁を振り回し、次々と向かい来るワイヤーを切り払う。
 だが、正面からの攻撃を防ぐので精一杯だったのだろうか──その隙だらけの背中に青髪の男が飛びつき、組み伏せる。
 
 劣勢っ……だが、あいつが敵を引き付けている間に──!
 俺は血だまりに落ちた水晶に腕を伸ばす。
 が、その手の平をピンヒールが押しつぶし止めた。俺を見下しながら、狐面の女が水晶を拾い上げた。
 俺が起き上がり奪い返そうとすると、


「やめろ、それを返しやが──」


 文字通り、息が詰まる。
 気道をふさいでいた血が、喉の奥から溢れ出す。


「……ぁ?」
 
 振り返れば、黒い翼の女が、その手に俺の腹の肉を掴んでいるのが見えた。
 何が起きたかを理解すると、途端に全身の力が抜けていく。
 
「…………後悔、す、ぞ……ぉめえら……」


 俺は赤く生温い床へ崩れ落ち──

 

 

 


 ……気が付くと、あの公園で倒れ込んでいた。


 負けた。俺たちは現実を守れなかった。
 俺は力なく、大の字で寝転がる。
 
 見上げる紫の空に、市内放送の開始を示すチャイムが鳴り響く。

 あの正弦波とクリック音からなる音声が流れると、どうしてか街の喧騒はぴたりと止んだ。そして──
 


『1年前の夢路市でトラック事故なんて起きてない! 赤井切音の母は……お母さんは生きてるんだ!』


 まず、赤井の声が、街中に響き渡った。


『私の子供の夢をずっと見させて!』
『俺の父親は…折居聡一郎はッ、殺人鬼なんかじゃない!!
 母さんだって、決して自殺したりしない! 俺は…俺の家族は、今も幸せに暮らしているんだ!!』


 続いて、また別の者による放送が流された。


『琴音ちゃんは……鮫川琴音は死んでない。4年前の通り魔事件では、誰も死ななかった。

 そうだよ。…みんな、信じて。』
『僕の両親は死んでない…! あの日交通事故なんてなかった、僕は1人なんかじゃないんだ…!』


 その一言一句が、彼らの夢が、


『この世界に化野世鷹は存在しない。この世界の人間は自分の、環知佳(トモカ)を理解・共感出来ない』
『……もう透明人間じゃなくて……私を見て欲しい』


 人々の精神を、俺達の現実を


『今の私の容姿は偽りであり、本当の容姿はまったく違うものだ』
『私は今まで死んでない。病気でだって、これからだって死なないの。私は、このまま生き続けるの!!』


 犯し、壊していった。


『真霞扇はもう大人にならない。
 そして子供が尊重され大人は冷遇される世界を管理する、はじめからそうだった!』


 そう聞こえた後、争うような物音がして、


『大人が皆冷遇される世界なんて間違っている、そんな世界いつか崩壊する!』


 そんな叫びが聞こえ、ガタンとマイクを落とした轟音が鳴る。


『オマエらの夢は常に現実になる』


 拾った誰かがそう言うと、赤井の困惑したような声が聞こえて……

 

 ガツンと、石を叩き割る音が響く。
 空に一本の真っ直ぐな亀裂が入り、
 それを境に紫の空は、夜空と昼空に分かれていった。


 そのまま、意識は霧散していき──

 

 

~~~~~~

 

 

 目が覚めてすぐに、俺は猛烈な違和感に襲われた。


 俺の脚にあるはずの手術痕や傷が、綺麗さっぱり消えている。
 あの事故の存在が無くなったからだろうか。脚に力を込め立ち上がっても、古傷の痛みは全く感じられなかった。
 
 ……いや、違和感はそれだけじゃない!
 俺は窓の外を確認する。
 立ち並ぶ高層住宅の隙間に、朝焼けの眩しいオレンジが夜空の色を消さんとしているのが見えた。
 向こうに飛んでいるのは、鳥ではなくドローンや飛行船……


 街の景色が、まるで様変わりしていた。
 夢路市とは思えない発展ぶりである。地名の書かれた電柱を見つけなければ、東京かどこかに転移してしまったと勘違いしていただろう。


 そういえば、俺の部屋の内装も何かがおかしいような気がする……
 そうだ、教科書だ。部屋の隅に積んであったはずの教科書や、その他「学校」に関連する物品が根こそぎ消失している。


 俺は机に置かれていたスマホを取り、日付を確認した。
 体感より一日遅れの……前回眠ったときの日付に、一を足した数字……
 つまり、あの紫の空の時間は全て『夢』ということになったのだろうか。

 

 俺は部屋を出て、キッチンを、トイレを、倉庫を…家中を確認した。
 だが、どこを探しても父と母の姿はない。
 見慣れた我が家が、不気味なほど広く見える。
 
 冷蔵庫の中を見てみれば、いつもはある夕飯の残りも、かなりのスペースを取っていたビール缶のストックも無く。
 代わりに栄養ゼリーのパウチや、様々な食材の詰められた弁当パックなどが入っていた。


 状況を確認する必要がある。
 俺はゼリーパウチをひとつ飲み干すと、急いで玄関へ向かった。
 

 

~~~~~~

 

 

「やっぱり、ここに来ると思ったよ」
「赤井……」


 俺が公園に辿り着いたとき、赤井はパラソル付きの丸いガーデンテーブルにつき、優雅にティーカップで紅茶を飲んでいた。
 隣には給仕服に身を包んだ大人っぽい女性が、椅子にも座らず直立している。
 まるで、貴族に仕える召使いのように。

 

 近未来都市かのように発展した夢路市だが、地形や大通りの位置に大きな変化はなかった。
 俺は記憶を頼りに、夢路中央公園にたどり着くことができた。


 周辺を高層住宅や近代的な建物に囲まれ、
 モニターのついたドラム缶型の掃除ロボットが行き交い、
 小汚い土だった部分は管理の行き届いた芝生になり、
 散歩する大人や老人は1人もおらず、幼児と若者ばかりが往来していることを除けば、
 ここは確かに夢路中央公園だ。

 

「まあまあ座りなよ。言いたいこと聞きたいこと、たくさんあるでしょ?」


 俺は椅子にどかりと腰掛けながら言い放つ。


「あーあーそうだその通りだ。よくもやってくれたな知ってる分全部教えろこのクソが」


 それを聞いた召使いらしき女性は目を丸くした。
 赤井は慌てて俺の口を手で塞ぎ、小声でこう囁く。


「待って大神くん。ここでは年下に敬意を払わないと。変な目で見られちゃうかも」
「と、年下に?」
「あの小さな子、扇サマの願い事だよ。逆年功序列」 
「ああ……分かっ、分かりました……」
「いや、だからってそんなにガチガチの敬語じゃなくてもいいからね?
 連絡もなしに家に遊びに来るくらい、気心知れた相手同士なんだしさ」
「皮肉かよ」
「……ふふっ、さっきの大神くん、ちょっと面白かった」
「なっ……」


 そう言って赤井は座り直すと、隣の女性に何か指示を出す。
 女性は素早くもう一つのティーカップを用意すると、紅茶を注いで俺の前に差し出した。


「私も、まさかここまで世界が変わるとは思ってなかったよ。
 じゃあ、"同郷のよしみ"で説明してあげる。この新しい世界のことをね」

 

 赤井によれば、夢路市がこんなに様変わりしているのは「扇サマ」のした放送が原因とのことだ。


 子供が尊重され大人は冷遇される世界を管理する。その言葉通り、この世界には大人が下で子供が上の格差社会が生まれた。
 綺麗で発展した子供居住区と、スラム街のような大人居住区が各地に存在する。夢路市は子供居住区のひとつになったらしい。
 消えた俺の父母は、恐らくは近郊の大人居住区で労働者として生きているだろうとのことだ。
 ちなみに召使いっぽい女性は赤井の母親。赤井の家族は「名誉未成年」として認められているため大人でも子供居住区に住めるらしい。


 大人が子供に物を教えるための学校は無くなり、代わりに子供が自由意志で情報にアクセスできる「学習所」という施設が生まれたそうだ。教科書が消えていたのはそのせいだろう。

 

「赤井は……こんな結果になって、満足なのか?」
「まあね。お母さんお父さんと一緒に暮らせればそれで良い。それ以上に求めることなんてないよ私は」
「チッ……そうかよ」


 お気楽な奴め。


「大神くんは、この世界嫌?」
「……嫌だがまあ、今までの日本と大して変わらない気もするな。学生時代にパーっと遊んで、大人になったら社畜として使い潰されて死ぬだけの人生と考えりゃ……」


 学生時代は人生の夏休み、という言葉があった。
 この世界では、20歳になるまでが人生の夏休みなのだろう。


「あはは、大神くんの人生観、闇すぎない?」
「今この世界の全員似たようなこと考えてると思うぞ」

 

 深くため息をついた。
 俺は現在18歳。子供としてここで遊んで暮らせるのはあとわずかだ。


「そうだなぁ……あと2年足らずで俺はここを追い出されるのか」
「名誉未成年になれなければね」
「俺がなれるとは思えねぇな」


 損した気分だ、他のやつらは20年間楽しく生きられるのに俺は2年だけで……
 ……いや、逆に幸運とも言えるかもしれない。20年間も甘えた生活を続けてからスラムに放り出されるなんて、きっととんでもない苦痛だろう。それを経験せずに済む。


「……タイムリミットまで俺は、学習所ってとこで勉強でもしておこうと思う。サバイバル術や医療技術がいいだろうか。
 どんな土地に送られても、そういう知識があれば役に立ちそうだからな。付け焼き刃でも無いよりマシだろう」
「真面目なんだねぇ。適当にやってても生きていけるし、適当にやってればいいのに。
 それにさ、『そんな世界いつか崩壊する!』って願い事もあったし。いつかきっとなんとかなるのさ~」


 ……俺が真面目なんじゃなくて、お前が呑気すぎるだけでは?

 

「ほらほら、もーちょっと明るくいこうよ!
 放送で言ってたじゃん『オマエらの夢は常に現実になる』って。たぶん、夢見る心を忘れなければなんだって叶うんじゃない?だから──」
「夢見る心、俺にあるように見えるか?」
「ぜんーぜん」


 赤井はクスクスと笑う。笑うな。


「そもそも本当に人にそんな力が宿ってんなら、こんな社会一瞬で無くなるはずだろ。『この社会システムから解放されたい』って夢を持つ人間も沢山いるはずだ」
「うーん、それについては仮説を何個か考えたよ。
 ひとつ、そう願った人は死をもって社会から解放される。夢の叶い方性格悪いよパターン。
 ふたつ、社会に反抗する人と同じくらい、社会の存続を願う人がいて効果が相殺されてる。
 みっつ、夢が現実になるのは本当だけど、それは遠い遠い未来に起こる。
 よっつ、大人になると夢を持つことさえ難しくなる。そもそも、叶うとは知らないで非現実的な夢を信じ続けるのは大人じゃなくても難しいだろうし。
 いつつ、夢の魔術で叶った願い事は強すぎて覆せない」


 パーの手を見せられて、俺は伸びをしながら天を仰いだ。


「あーもういいもうどれでもいい……どれにしたって絶望的だ」


 しかし、「なんでも願いが叶うなら」に「叶う願いの数を無限にする」と答えるのは……お馴染みというかなんというか。
 まあ「みんなの夢は現実になる」なんて願い事が適応されても世界が存続してるってことは、今の赤井の話した説も案外当たっているのかもしれないな。
 例えば誰かが地球滅亡を夢に持ったとしても、それが叶うのは数億年後になるとか。
 不老不死を夢に持っても、生き続ければいつかその夢を信じられなくなったり、死を願ったりして死んでしまうとかだろうか……

「大神くんはさ、……この世界を何もかも元に戻してやろうとは思わないの?」


 不意に、赤井がそんなことを口にした。


「実際見たんだから、知ってるよね。あの魔術を使えばなんだってできる。
 魔術を使えば今までのこと、世界の変化も全部なかったことにできるかもしれない」


 折角叶った自分の願い事を台無しにされたら、という不安があるのだろうか。
 
「『夢が現実になる』ってことも。他の人たちは夢が叶うと知らないから使いこなせないかもだけど、
 世界に何が起きたか知ってる私達なら、この力をうまく扱うのだって──」


 だが……俺に関しては見当違いだ。


「なあ……俺がなんで、お前の提案を拒んだか分かるか」


 ぬるくなった紅茶を流し込み、ガタンと音を立てて席を立つ。
 赤井はわずかに目を見開いてこちらを見上げる。 


「楽を覚えたら、人間はどこまでも堕ちることができるからだ。俺はそんな甘ったれた奴が大っ嫌いでね」
「……」


 現実がどれだけ儚く脆く、曖昧であるか思い知ってしまった。
 それでも……だからこそ。


「だから、俺はお前らみたいなチートは使わない。
 俺は、俺の現実を精一杯生きていくだけだ」
 

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