Day_i_1 夢路市じゃあ新常識さ
上の階からのけたたましい足音で目が覚めた。
なんだろう。言い争うような声も聞こえる。
マンションなんだから、騒音には気を遣って欲しいなぁ……
ああもう! うるさいうるさい! こうなったら私が包丁で静かにさせて──
……あれ? 何考えてるんだろう私。ここは夢じゃないよね?
起き上がり、窓の外を見る。
そこから見える景色は、明らかにいつもと違っていた。
見渡す限り、紫色に染まった空。
夕焼け空と夜空の境目の色が、変化することなくどこまでも広がっている。
眼下に広がる街のあちこちに血溜まりが散らばっている。
大通りに見える群衆は乱闘を繰り広げ、道路の血の海を広げ続ける。
喧騒が、怒号が、ここまで聞こえてくる。
みんな、何をしているの?
──私はまだ、夢を見ているの? それとも現実?
それとも、両方?
──夢と現実が、混ざっている!
そのとき、立ち並ぶ屋根の上を駆ける影が見えた。
動物のようにも見えるそれは真っ直ぐこちらに近づいてきて、そして高く飛び上がって──
「キャ──ッ!!」
私は咄嗟に体をかがめた。
何かが部屋に突っ込んできた。爆音と共に割れたガラスが飛び散る。
見上げると、そこにいたのは──
「大神くん!?」
「やはり、ここにあったか……」
狼の姿の彼は、私の机の上を一瞥してから、振り返って私を見下ろした。
その声は心底恐ろしく、冷たくて──残忍で。
「手荒で悪いが──非常時には非常時の対処ってのがあるんだよ」
そう言うと、その前脚が私の頭を弾き飛ばす。
柱に後頭部を打ち付けてしまった。私は力なく床に倒れ込む。
「安心しろ、死んでも暫くすればあの公園で目覚めるらしいからな」
「なん……で……どう、して……」
「何故それが分かるかって? 起き抜けに親父にぶっ殺されたからだよクソが」
顔を覗き込まれ、狼の生暖かい鼻息がかかる。
「あの雑貨屋に『水晶を買い占めた女子高生』の話を聞いてから疑わしいとは思ってたさ。
聞いた外見の特徴が殆どお前と一致していた。他人の空似かもしれなかったから、断定はせずひとつの可能性として考えていたが……。
疑いが確信に変わったのは、お前の筆跡を見た時だ」
「え……?」
「夢の中の紙切れ、あれはお前のメモだろ?」
「……」
「必要な分書き写してから返すつもりだったが、俺に本の存在がバレたから延滞した……ってとこか」
狼はその巨大な頭で、机の上を乱暴に薙ぎ払う。あの本と、それに挟んでいたルーズリーフが舞い、床に散らばった。
動揺を覆い隠すように、私はため息をついてこう言った。
「……だったら、何?」
「この悪夢を終わらせる方法を教えろ」
「──お断りだ!」
強く念じ、手の中に包丁を出現させる。
刃を狼の眼球に突き立てようとしたが、それよりも速く腕を前脚で押さえつけられた。
「っ……!」
「最悪だ。現実はブッ壊れて、誰も彼もが覚めない悪夢で殺し合ってる」
狼が、大きく口を開く。本能から来る恐怖が、私の身体を硬直させる。
「全部、お前のせいだ」
ダメだ、あの本を、読まれる訳には──
だが、私が動くより先に狼は喰らい付いた。
素早く頸動脈を食い破られ、私はそのまま、意識を手放し──
~~~~~~
俺が赤井の部屋に押し入り見つけた例の本は、やはり夢で見たメモと同じ内容が記述されていた。
「夢を叶える方法」と題された、現実改変のための魔術。
読んで得られた新しい情報は、これだ。
……本を落とした時、同時に舞い散った赤井の手書きメモ。夢で見たのと全く同じ字体と文面だったが、中には見たことのない図の書かれた紙も混じっていた。
どう調べたのやら、それは「夢路市役所見取り図」と記された建物の図面だった。その中の一部屋に赤ペンで丸がつけられ、「防災無線の放送室」と書き込まれていた。
これで全て分かった。にわかに信じがたい話だが……
赤井の目的は現実改変。防災無線をジャックし、狂乱状態の市民に語りかけて洗脳すると、人間の思い込みの力とやらで現実が捻じ曲げられてしまうらしい。
そして、赤井の持つあのピンク色の水晶を叩き壊せば悪夢は終わるようだ。
赤井の死体を見ると、既にそれは半透明になり輪郭を失っていた。慌てて服を探り水晶を探そうとしたが、もはや実体のないその体に触れることはできなかった。
……これは、つまり、怒りに任せて赤井をぶっ殺したのはとんでもない悪手だったということか?
俺のケースと同じなら、赤井はこれから公園で目覚めようとしているはず……!
俺は狼に変身すると、急いで狂乱の街へと繰り出した──